「占いと私」その3

私が「占い」というもの、そして西洋占星術にめぐり会うまでの

Me & Fortune telling的なパーソナルヒストリー、『「占い」と私』です。

 

☆そうだ、占い行こう!~実の親との葛藤を乗り越えるために

 

私は一人っ子なので、物心ついてからずっと、

結婚してからも、親からの干渉がすさまじかったのです。

私が小中高のころ希望した進路は親によって全否定(笑)。

幼稚園の年長さんだったころ、初めて口にした憧れの職業は

「お洋服のデザイナー」。

 

なんとなく幼稚園に行きたくなくて

「おなかがいたい」と言ってズル休みした日。

お医者さんに連れて行かれたあと

私の同級生のおうちへ寄りました。

母親同士がいわゆる今でいうママ友だったのです。

 

そこで私はお絵かきをしながら

母親同士のおしゃべりに付き合っていたのですが

お友達のママが私に

 

「megちゃんは大きくなったら何になりたいの?」

 

と聞いてくれました。

 

私はクレヨンで絵を描きながら(ドレスを着たお姫様の絵を描くのが好きでした)

 

「お洋服のデザイナー」

 

と答えたら。。。

 

母が突然、ものすごい勢いで

幼稚園児の夢を否定しだしたのです。

今でも一言一句覚えていますが(さすが水星さそり座w)

ここに書いたら炎上しそうなひどい言葉を投げつけてきました。

 

年端もいかない、幼稚園児にですよ?

ちびっこの他愛もない夢に、よくそれだけマジに罵詈雑言吐けるよね、

って今でも感心します。

多分、母の何か地雷を踏んだのでしょうね。

 

一部をご紹介しますと(笑)

 

「デザイナーなんてものはね!シャネルやディオールみたいになれるのはごく一部でね!」

 

幼稚園児にいきなりシャネルにディオールかよ。。。w

ハードルたけー。

 

このあと延々と、デザイナーという職業をくさして

そして、それになりたいと言った私を非難し続けたのです。

 

あっけにとられる私と、お友達のママでしたが。。。

 

そのお友達のママは母と同い年で、当時からお習字の教室を開いていて

私も習いに行っていました。

そして、ご主人の転勤で全国を転々としながらもお習字を続けて

何十年後かに掛け軸一つ何十万!というカリスマ書道家さんになられたのですが

(日本より先に外国でブレイクしたので日本ではあまり知られていません)

 

そのおばさまが、母のヒステリーが収まるのを待って

 

「デザイナーになりたいんだったら

いま描いてるような可愛いお人形さんの絵だけじゃなくて

デッサンを習ったり、美術館に絵を見に行ったり

いろいろお勉強しなきゃいけないことがあって忙しいわよ!」

 

と言ってくれたのを覚えています。

やっぱり偉くなる人って子供相手でも言うことひとあじ違うわー。

 

一応、母の擁護もしておくと

母だってピアノの先生として自宅でたくさん生徒を教えて

ときどき声楽の伴奏ピアニストとして舞台にも立っていた

元祖サロネーゼというかプチ起業ミセスというか

イケてるwヤングミセスだったのですが(当時)。

なのに、娘である私の夢に対してはことごとく↑のような態度で

叩き潰すのです。

(突然のヒステリーは当時悩まされていた婦人科系疾患に対する

ホルモン剤の副作用だと本人は言ってますが)

 

それた話が長くなりましたが。

それ以降、

ピアニスト、ミュージシャン、心理学者、
メイクアップアーティスト、フライトアテンダント
通訳ガイド、ツアーコンダクターなど。

これらの進路=なりたい職業はすべて私のホロスコープに見事に合致していますが

全部、すがすがしいくらい全否定\(^o^)/


大学4年の時も希望の進路は却下され、挙句の果てに就活も禁止、

父が勝手に就職先を決めてきました。

聞こえのいい有名企業ではあったけれど、私のやりたいことではなかったので

このままでは私の人生、親の言うなりで終わってしまう!と

親、というか母があまり賛成しない相手と結婚して京都に来たのが24歳の時。

 

そしてすぐに

学生時代に入りたいと思っていた企業(国際会議運営)の大阪支社の求人をみつけて

採用されて、昨日書いたドクターストップまでの2年間働きました。

 

親の干渉、特に父は愛ゆえ、というのもわかってはいました。

 

父は(かに座丸出しの)、娘可愛さ余って自立させたくない、羽ばたかせたくない病で

私の望むことはダメダメダメ!しか言いません。

私は(9ハウス太陽なので)、なるべく遠くへ飛んでいきたいのに。

母は(夢見るうお座)、自分の夢を勝手に私の人生に投影してファンタジー大作を作り上げ

私がその通りにならなかったので

「お前は負け犬、負け組!私の夢を返して!」

と毎晩電話してきました。

(大阪で採用された会社の最終面接の倍率は36倍、配属された勤務地は京大医学部

どこが負け犬の負け組やねん!て思うけど

母のシナリオではこういうのは価値がなかったようです。。。)

(でも、憧れだったその会社、入ってみたら超ブラックだったんですけどね!爆)

(また別の機会にじっくりと。。。)(某ちゃんねるにスレたってるw)

 

夫も自分の人生と、私と娘を食べさせるので手一杯→よく食べるしw

私の愚痴なんて聞いている余裕はありませんでした。

 

苦しくて、淋しくて、もうここから飛び降りて何もかも終わりにしてしまおう!

と、何度も4階のベランダから身を乗り出しました。

でもやっぱり飛び降りるのは怖いし、私だけ死んでしまうのは悔しい。

でもどうしたらいいのかわからない、と悶々と悩む日々が続きました。

 

転機がやってきたのは娘が小学校に入学したころ。

小学生になったら急に病気をしなくなり、毎日元気に学校へ行くようになったので

1人でアタマを冷やす時間ができました。

そうしたらなぜか、「そうだ、占い、行ってみよう!」と思いつき

なんとなく行くならあそこ、と決めていた四柱推命の占いルームに飛び込みました。

 

 

 

ここからCMコーナー

9ハウス太陽だとなんで遠くへ飛びたいの?→ステラフォルテの占星術セミナーへ
私の親も過干渉、どうしたらいいの?→ステラフォルテの占星術カウンセリングへ

お待ちしております☆

 

 

占いルームに飛び込んだら、そこで待っていたのは。。。

 

fortuneteller during Session with tarot cards

 

こんなに怖いおばあさんではなかったです。

待て次号!

(っていうほどのもんじゃない。。。)

 

 

 



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